私が3歳のときに父はくも膜下出血で亡くなりました。母子家庭になり、母は3歳年上の兄と私を女手一つで育てていかなければならない状況になりました。
「女子供だけでは危ないから、用心棒として行ってあげなさい」という親戚の勧めで、父の兄弟の末っ子のまだ大学生だったおじさんが家を守ってくれることになりました。
社会人1年目からパパになる
父はおじさんに就職に向けての相談にのってあげたり、アドバイスをしていたそうです。父の残した日記からそれが読み取れます。
そして、用心棒として来てくれていたおじさんは母と結婚をしてくれました。今の父です。
あれから60年あまりが経ちました。社会人1年目だった父は私たち兄弟が大学を出るまできちんと世話をしてくれました。
父は母のことを前から好きだったと聞いたこともあります。そして、猫も好きでした。

二人の子どもを育てる
父一人が働いていましたので、二人の子どもを大学まで進学させるのはとても苦労だったと思います。実際、自分のことにはあまりお金を使っていなかった覚えがあります。通勤用の車はスバルやセリカなど定期的に購入をしていましたが、それは商売道具のようなものだったでしょう。
スバル1000という車で動物園や中禅寺湖にも連れていってくれた写真も残っています。
就職したり、結婚したりしてからは経済的には独り立ちしましたが、仕事上や子育てでの相談はたくさんしてきました。いつも離れたところから私たち家族を見守り応援をしてくれました。
もし、あのときに今の父が来てくれなかったら、私たちの人生は大きく変わったでしょう。たぶん、今の妻にも出会っていないと思います。

10歳年上の母と暮らす
そして、82歳になった父は、92歳の母を大切にしながら暮らしています。軽自動車も安全運転で乗っています。毎日の買い物には欠かせないそうです。
父は孫やその奥さんが遊びにいくと、色々な話題を提供してくれます。前回話したこともよく覚えていてくれて話が盛り上がります。そんな父の姿をみて、私も同じようになりたいと思わずにはいられません。

おわりに
3歳で父を亡くしましたが、60年間も育て見守ってくれている父にはとても感謝しています。いただいた想いは自分の子や自分の孫につないでいきたいと思っています。
それでは、また。

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