「手のひらを太陽に」をうたおう!

子育て・孫育て
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2025年4月からNHKの朝ドラ「あんぱん」が放映されていますが、最近になってはまりました。といいますのも、定年退職する前は、仕事があって、なかなか見ることができませんでした。

思い返せば、朝ドラには子どもの頃に一度はまっていました。第11作の「繭子ひとり」(昭和46年度)、第14作の「鳩子の海」(昭和49年度)、第31作「おしん」(昭和58年度)が記憶にあります。特に「おしん」にはひきつけられました。

妻は録画して毎回観ています。そして、泣いています。4月の頃はまだ余裕がなくて、次の仕事のことで頭いっぱいでしたので、見ていなかったのですが、夏休みになってようやく余裕ができて、あんぱんを見るようになりました。

とても心に残るシーンが多くて、毎回見るのが楽しみになっています。

遅咲きのマンガ家

あんぱんは、「アンパンマン」を描いたやなせさんと奥さんの暢(のぶ)さんをモデルにしたドラマですが、事実も採用されています。作曲家のいずみたくさんと作った「手のひらを太陽に」の歌詞がマンガ家を目指すやなせさんの作ったものであることを知って、驚きました。

1973年に「あんぱんまん」の連載が始まったときにやなせさんは54歳。それまではいろいろなことを仕事にしていたんだなあと思います。

そういえば、ケンタッキーフライドチキンの創業者、カーネル・サンダースさんも創業時の年齢は65歳と聞きますので年齢は関係ない方もいるのですね。

家族愛

ドラマでは今田美桜(いまだ みお)さん演じる暢さんの生き様も克明に描かれています。この二人の愛情を感動的にドラマ化してくれていると思います。愛する者同士が同じ屋根の下で暮らし、互いを大切にしながら、そして、他の人に感謝されながら、また、自分の生きがいをみつけようとしている姿に感動します。そして、自分もそうでありたいと思います。

戦争

やなせさんが太平洋戦争に従軍していたこともあまりよく知りませんでした。1941年に徴兵されて終戦まで約5年間もそこにいたわけですね。ひもじい思いをしたと朝ドラでは表現されていますが、今度読もうと思っている「やなせたかしの生涯」という本で従軍時代のやなせさんの境遇や思いを確かめたいと考えています。

僕らはみんな生きている

「手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮」という歌詞が生み出されたのが、太陽ではなくて懐中電灯だったという話は半年前に音楽の先生から聞きました。そして、朝ドラでもそれを演じていました。朝ドラでは停電時という設定でした。

やなせさんが戦争を体験し、命の大事さを強く感じて復員したことが、この歌の言葉を生み出したのではないかと感じます。

「生きているから 歌うんだ、かなしいんだ、笑うんだ、うれしいんだ、おどるんだ、愛するんだ」 私もこれを感じながら生きています。

「ミミズ、オケラ、アメンボ、トンボ、カエル、ミツバチ、スズメ、イナゴ、カゲロウだって、みんなみんな生きているんだ 友だちなんだ」 この気持ちって、大事ですよね。この歌がNHKのみんなのうたで1962年から歌われていたのは素晴らしいことだと思います。

まとめ

「手のひらを太陽に」を歌い、正義の味方「アンパンマン」を読んで(テレビで観て)育った子どもたちはたくさんいると思います。人を大事にする愛の心を小さいころから感じていってくれたらいいと思います。生きていることは素晴らしいんだ!!と。

今度、ホームカラオケでも「手のひらを太陽に」を歌ってみたいと思います。

それでは、また。

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