〔80年前のヒロシマは語る〕
夏休みを利用して、東京都写真美術館で開催されている『被爆80年企画展 ヒロシマ1945』を観にいきました。ただれた皮膚、即死した10万人以上の人々、その姿の一部が、投下直後複数の日本人カメラマンによって撮影されました。
- まず一言いわせてもらいます
- 投下直後に地上から撮影
- 悲惨な地上
- カメラマンの叫び
- まとめ
まず一言いわせてもらいます
こんな惨いことが、これから先繰り返されてはいけないのです。
なん人も、原爆によって人を殺す権利などないのです。

投下直後に地上から撮影
原爆の写真と言えば、エノラ・ゲイから写した『キノコ雲』を上から写した写真を思い浮かべます。
しかし、この展示会には地上からキノコ雲を映した写真がありました。
もしかしたら、撮影者も爆風でやられてしまうかもしれない、そんな中でも決死の撮影だったそうです。
悲惨な地上
エノラ・ゲイから写すキノコ雲は、キノコらしい形をしていますが、地上からみる煙はまったく違うものでした。写真を撮った場所は爆心地から少し離れていましたので、家からドイツ製のカメラを持ち出して撮影できたようです。
地上では多くの方が即死し、多くの方が熱線を照射されました。ある者は肌を焼かれ、ある者は割れたガラス破片が目に刺さりました。ただれた身体にはゴミや炭がこびりつき真っ黒な姿で町をさまよいました。地上は悲惨な状況です。それを写真たちは物語っています。
被爆前、被爆直後、最近と3つの市内のパノラマ写真が飾ってありました。被爆直後は木造家屋はすべて焼かれ、コンクリートの建物の一部だけが残りました。爆心直下にあった鳥居は縦方向の力を受けたので無傷で残っていましたが、ちょっと離れたところにある鳥居は根こそぎやられていました。

カメラマンの叫び
展示の最後には、次の言葉が書いてありました。
『このような記録は、私たちの写真が永遠に最後であるように』
死にゆく人々を前にシャッターを押したカメラマン。
助けるべきなのか、悩みながらシャッターを押したそうです。
でも、80年後にこうして、原爆の怖さを平和な世界に生きている私たちに、目を通して伝えることができたのはカメラマンがいたお陰です。

まとめ
カメラマンが叫んだように、こんな悲惨なことを繰り返してはいけません。
今回の展示会には、外国籍と思われる方もいました。
日本人だけでなく、そういった方たちも写真をみてもらうことで、原爆を使ってはいけないことを肌で感じてもらえたらと思いました。
広島ではない場所で、このような展示会を開催してくださったことに感謝いたします。
